略歴ではあえて記載していないが、実は大学を卒業して新卒で入社した会社は、フレンチレストランを展開している、(株)ひらまつである。
ひらまつを初めて知ったのは、大学3年の頃にホイチョイプロダクションズの東京いい店やれる店というレストランガイドを買ったことがきっかけであった。この本の前書きに、高級フレンチとして知られているひらまつのことが取り上げられていた。また同じ頃、広尾や表参道などにある、オープンカフェブームの火付け役であった『カフェデプレ』が人気を博する。その店内の片隅には、インターネットが使えるPCが設置されており、当時30分500円で使うことができた。また、ロンドンにあるインターネットカフェ『サイベリア』を日本に持ち込んだりと、フランス料理の領域のみならず、新しい世界も当時模索していたのだ。
そんな矢先、大学の就職課でひらまつの求人票を見つけ、就職試験を受けるとトントン拍子で内定を受ける。内定を受けた後、そのまま他社の就職試験を受ける選択肢ももちろんあったが、元来めんどくさがり屋なところがあり、就職活動を終え、バイトに明け暮れる大学生活を送った。
1997年4月 株式会社ひらまつ入社
ひらまつの新入社員は、約60名。そのほとんどが、調理師学校や給仕人養成の専門学校を卒業した人たちで、大卒はたった4名。そのうち男性は僕1名であった。そんな状況もあり、将来の幹部候補として、平松社長にはかなり期待されていたと思う。
入社後すぐに、新規事業部に配属となる。いわば新店舗の開発を担当するセクションであり、ひらまつ初のベーカリーカフェであるエピドルレアン恵比寿店(現在は閉店)のオープンに携わる。特に、オープン前日は、平松社長も含めて徹夜して準備をしたり、新規事業部メンバー全員を恵比寿の焼肉屋に連れて行っていただいたりして、楽しく仕事をしていた。それからは、殆ど毎日休み無く仕事に追われた。当時の初任給は35万円。新卒としては破格であろう。休む暇もないぐらい仕事をしていた上、レストラン業という性格上、食事は支給されたり、食べるのが仕事というところもあったので、ほとんどお金を使った記憶がない。
突然の退職
そんな僕は、入社して1ヵ月半の5月15日に退職してしまった。
その理由であるが、2つの理由があった。
ひとつは、楽しく仕事をしていたものの、興味のあったインターネット関連の仕事とは隔たりがあったということ。冷静に考えてみると、フレンチレストランに就職したのだから、当然といえば当然なのであるが。その後、インターネットカフェのサイベリアも閉じ、フレンチレストラン・カフェ事業に注力するようになった。(客観的に見て、ひらまつのこの選択は正解だったと思う。)
そしてもうひとつは、パン職人のシェフが、ミスをした部下を怒鳴ったり、バシバシ平手打ちしているところを見て、いつか自分もなぐられるのではないかということを考えたとき、この場所で仕事をするのがどうしてもイヤになってしまったのである。間違えたことをしてはならないと考えて、質問をしているにも関わらず、怒鳴り返されるのであるから、たまったものではない。料理人は匠の世界なので、そうやって仕事を覚えるのが常識なのかもしれないが、その当時は高い月給を捨ててまでも、なんとしても離れたいと思ってしまった。
もちろん、平松社長からは慰留された。社長室に呼ばれて、『おまえは単なる5月病だぞ!』などと言われても、もはや聞く耳持たず。僕は『辞めさせていただきます!』と言って、退社。それ以来、(当時の)西麻布の本社に顔を出すことはなかった。
ちなみに、後に何度か転職を経験したが、3ヶ月の試用期間を経ずに退職したこともあり、ひらまつに在籍していたことを履歴書には、あえて記載していない。
1997年5月 株式会社ヘキサード入社
ひらまつを辞めてから、さっそく就職活動を。当時はネットで就職情報を得るということは、まだ主流ではなかったので、就職情報誌のビーイングを買い、仕事を探す。そのときの会社の選択としては、ひらまつでは関われなかったコンピューター系の仕事に関わりたいということと、できれば自宅からも近い場所で仕事ができればということであった。
それで探していたとき、のちに入社する株式会社ヘキサードを見つけた。
ヘキサードは、業務用パッケージソフトを開発・販売している会社で、本社は南青山。
当時は自宅にPCを持っていなかったので、インターネットを自由に使える環境を得られるというメリットもあり、さっそく応募。プログラミングなどを行いたいと思い、開発職を希望して面接に臨む。しかし経験は全くもってゼロである。それどころか、WordやExcelさえもほとんど使ったことがない。今考えたら、開発を志すこと自体が無謀だったなぁと思う。
その数日後、ヘキサードから電話がかかってくる。開発職としては難しいが、営業としてなら採用してもいい、という回答であった。とにかく、仕事をしなければと考えていたので、とりあえずは営業でもいいや、と考え『営業として働かせてください』と伝え、ひらまつ退職から約10日後の5月26日にヘキサードに入社した。自分が“営業”として仕事を続けるようになったのは、これがきっかけである。
15人しかいない会社であったので、営業とは言っても、実際にはなんでも屋である。営業に限らず、いろいろなことを担当させていただいたし、この期間は、社会人としての礎を構築した4年間といえよう。